昭和52年03月24日 朝の御理解
御理解 第20節
「此方が天地金乃神よりおかげを受けておることを話しにして聞かすのぞ。疑うて聞かぬものは是非におよばず。かわいいものじゃ。また時を待っておかげを受けるがよし。めいめいに子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらぬ。言うことを聞かぬ子は、親もしかたあるまいが。」
金光大神の御信心を通して、私が神様から色々とお知らせを頂いたり、これは私の何十年の体験から、はっきり言えれる事と、絶対という言葉まで使って、皆さんにお話を聞いて頂いておること。今の合楽で私の言う事を本気で、学び取らせて頂こう、体験の上にもはっきりした、実証を示していこう。私は合楽理念の確立と言う事が言われるのですけれども、これは銘々の信心の上の確立だと思うです。
今日それを思うです。合楽理念の確立、合楽理念の確立「んなら確立してから、ぼちぼち覚えよう。」と言う様な感じがないでもないですね。「まぁもうちっと、本当のものになってから覚えよう。」と言う様なふうに思っとる人が、折るかも知れませんけれども。私は合楽理念の確立というものは、これだけはっきりと、しかも神様にお知らせを頂いて、私が体験をして、そして「間違いのない」と言う事を、実証させて頂きながら、皆さんに伝えておる事ですから。
皆さんがねその信心を、そういう合楽理念をもとにする信心生活の確立が、銘々の合楽信者、信奉者の上に家庭に、それが行じられ、それがおかげになって、打ち出されてくる世界が、開けてこなければいけないと思うんです。そこでなら、今ね神の言う事を聞かんものは、いうなら神様もしかたがない。親の言う事を聞かん子は、もう親でもしかたがない。悲しい事だけれども、やはりしかたがないのだ。
と例えば親に悲しい思いをさせてはならん、また自分自身も本当に助からなければならない。私一家もどうでも助からなければならない。しかも助かった、その世界に私共は助かったその世界を住まわしてもらう。最近は「合楽は世界の桃源郷だ」とね。昨日は私は御霊様のお祭りの間に頂きます、「合楽の世界に鬼はない」。もうそれこそ四季の花が、咲きほころびて、本当に熱くもなからなければ寒くもない世界。
いうならば一切が勿体ない有難いの世界。そういう世界を私の心の中に頂けれる信心なんです。合楽理念というものは。そういう家庭が築かれれる手立てなんです。そういう社会がね、愈々その光の輪が、愈々広がっていくほどしの内容を持っておるのが合楽理念です。ですから是をどうでも自分たちのものにね。頭で分かり心でそれを感じ、それを体でこなしていくところの信心が愈々もって、なされなければならない。
今度十年の記念祭の、まぁ記念事業が色々に、まぁ計画されておりますけれども、私は今度はなんというても、うん奥城造営だと思うんです。しかも私はです確かにひとつのね、「合楽は世界の桃源郷だ」と言われる様な、ひとつの雛形を作りたいと思うんです。「はぁこげなこういう素晴らしい奥城に祭ってもらうなら、もういつお国替えしたったちゃ良かぞ。」ちいうごたる、安心のできるぐらいな、また喜びが頂けるような、奥城造営を願っております。
だからもう広さもどれだけ広かったちゃ良かです。正義先生が言っておりますように、いわゆるひとつの公園化です。しかも只の普通の公園とは違う、それこそいうならば、入っただけで、有難い勿体ないの気分が、いっぱいに頂けれるような、しかもこれがやはり、本当の合楽の世界、極楽の世界の縮図でもあろうかと言う様なね、感じの奥城をまぁ私は夢に描いておるわけです。今日は御祈念のうちに、そのことをしきりに、心の中に感じさせてもらったんです。
だからもう合楽の、私、皆さんを通してです、もういくら金かけても良い、そんな感じがいたします。合楽永遠のやはり、だから計画でなからなければならない。そしてこれが合楽のいうならば縮図だと。これが小さい手本なのだと。例えば合楽のなら御神前が、まぁこれだけのもんですけれども、これがこつぜんとして現れるというのは、神様がお造りになったお宮です。
神の宮です所謂ですから是が真の神界、本当の神様の世界で、このご神前はもうそれこそ、それこそもうまばゆいばかりのご神前です。その雛形なんです。いうならば真善美に輝かんばかりの、いうならばお広前です。ご神前ですですから合楽のお広前に、皆さんがお参りをさせて頂いて、いうならばもう本当にまぁ行き届いたね、本当に真善美がそこにある様な感じが、お広前から受けられると言われるのは、そういうわけです。
それが神様の神界、神様の世界で見なさったら、もっと素晴らしい、もっとというのは、それは問題にならないほどに素晴らしい。その雛形なのだここは。だから奥城とても、やっぱり同じことが言える。だからんなら、合楽の力をそこに注いでも、それこそ力を惜しまずに、奥城造営のことに、ひとつかからせてもらわなければならんというふうに思います。いうならば合楽理念の確立がね、そうした記念事業の上に現れる。
なら合楽理念の確立というのは、ここに「これが合楽理念だ」というて、確立を急ぐというのではなくて、銘々の心の中に、合楽理念の確立が、なさらなければならないと、言う事です。銘々の家庭の中に、合楽理念に基づいた家庭生活が、出来れるおかげを頂かなければならない事に、焦点を置くと言う事がです、出来る出来んは別として、「親の言うことを聞く」と言う事になるのじゃないでしょうかね。
親でも子供でも「言う事を聞かん子供は、親でもしかたがない」と神様を悲しませるような事のない、今合楽で親が言うておる事はどう言う事か。合楽理念の確立だ。それはね、銘々の心の中に確立する事なんです。して「かく助かっていけれるんだ。成程合楽の世界には、鬼はないんだな。」という、合楽世界が生まれてくる。そういう人たちの行きつく所。そういう人たちのおかげの世界を私は、これは私の夢ですけれども、そういう願いのもとに、今度の奥城造営にかかってもらいたい。
まぁぁだとっても完全に、こうあっていないのですけれども、段々お話が進められておりますから、神様にお願いをしても、そこんところを、どうでもひとつ、「合楽とは、合楽の世界とは、こう言う所なのだ」とのその雛形をです、成就になる事を願い、そして私の願いではなく、皆さんの願いとして、ひとつおかげを頂いてもらいたいと思います。ためにはまず、皆さんの心の中に本気で、合楽理念の確立を急がなければなりません。皆さんの家庭の中に合楽理念。
私共の心の中にね、まぁぁだ人を恨んだり、責めたり又は人の足元ばかりが、見えるような世界であっては、いつまで経っても合楽理念の確立と言う事にはなりません。私の心の中に確立をする。そこには善導勿体ない、心の中に信心の喜びが絶えない、常中常に持ち続ける事が出来る。そういう心の世界を開かせてもろうて合楽。本気で私共が「成程合楽の世界の桃源郷だ」と名実共に言えれる様な、ひとつおかげを頂いた時に、私共は神様のいうならば、親の言う事を聞いた事になり。
神様のお喜びを、またひとしお受けていく事が出来るというふうに思います。合楽理念の確立を急ぐ、「これが合楽理念の確立だ」と、いかに例えば、そこに確立した者が、例えば、そこに出来ましたても、それを言うておるだけではいけん。問題は自分自身の心の中に合楽理念の確立を頂かなければ、それを急がなければならない。どうでしょうか。そのことを本気で頂こうという、それこそ胸がワクワクするようなおかげが感じられます。どうでもひとつ皆でね。
「合楽は世界の桃源郷」、合楽の信者、信奉者の皆が、いうならば地獄のない、鬼のいない世界ね。ただ有難い勿体ない、いうならば暑くもなからなければ寒くもない。いつも四季の花が咲き乱れておる、そういう中に過ごさせて、これは私、けして、ひとつの理想郷であってはならない、私共の心の中にね、事実、真実、頂かせて頂けれるものでなからなければならない。それを目指す、また目指させるのが合楽理念である。めいめいの心の中の合理理念の確立を願いたい。
どうぞ。